不愉快なニュースに思うこと

秋田の小学生殺人事件で、娘の死についても母親がわけわかんない供述を始めているらしい。
正直、このニュースはあんまり聞きたくないと思っている。
検察がちゃんと証拠を整えて裁判が始まるまでは、嘘かホントかわからない話がダラダラと報道され続けるんだろうな、と予想ができていたから。犯人のタイプからして。。。
何が不愉快かって、一連の報道を聞くほどに、以前自分の近辺にいた不愉快な知人を2〜3人思い出すからだ。
彼ら彼女らは、周囲から自分へ関心を向けさせるためだったらどんなことでもする。非常識なことでも、迷惑なことでも。
そして、自分がどんなに可哀想であるか、自分は放っておいてはいけない人物であるかを訴え続ける。
食事についての飢餓でもそうだけど、愛情に飢えると、人はどんどん見境がなくなるものなのかも知れない。
ただ、実際にそういう飢餓感を実感したことがない、私自身も含め程々に不幸せではない一般的な人々からすると、その気持ちは全く理解し難いと思う。
そういう人が世の中にはいることを頭では理解できるし、可哀想な人だと思うけれど、私としてはやっぱり不愉快なので、こういう人には関わりたくないと思う。
ただ、そういう交わらない心のリングを私が作ることで、また更に愛情に飢えた人物がどこかで苦しんでいるのかもしれない。
・・・とはいえ、私は神様でも仏様でもないので、とりあえず思うことは、自分の家族に対しては包み隠さず惜しみなく、愛情を贈り続けようということだ。
そうしたら、愛し方や愛され方を知って育つちーちゃんやゆーちゃんが、いつかどこかで他人を愛することで誰かを救ってくれるかも知れないから。