情けは人の為ならず、と言うが

以前、自分が離婚した時、思った。
ヤツは、私にとってはもはや夫として扱う気持ちになれない相手になっていた。
でも、そう思う3年前は確かにプロポーズを受けた。
断る理由が見当たらなかったからだ。
まあ、付き合い始めて3ヶ月のラブラブ最高潮の時に断れるような冷静さを発揮できるか?・・・という言い訳はあるんだけど。
そして、一度オッケーしたら相手のペースで早々に結婚の日取りが決まり、結婚準備が進むにつれて不満に思うことがいろいろと増えてゆき、一度は結婚を取りやめようと動いたこともあった。
が、その時は相手の方が謝ってきて、
「もしまた改めてダメだと思ったら離婚していいから、とりあえず結婚しよう」
と言ったので、矛を収めて結婚したのだ。
で、3年後にその日が来た。
さて、どうだろう。
夫として・・・無理だ。
男として・・・無理だ。
同居人として・・・無理だ。
人生観が違っていて、その溝を埋める方法も悉く失敗し、もはやお手上げだ。
でも、3年前、確かに好きだった。
仕事はやたらデキる。リーダーシップがある。賢い。意志が強い。
社会的な良識や常識はちゃんとある。経済力もガッチリある。バイリンガルだ。仕事のキャリアはダテじゃない。
お見合いの相手として紹介するとしたら、まあ・・・身長が低いことと若ハゲであることが弱点かも知れないけれど、それ以外はほぼ完璧な物件だ。
でも、私には無理だ。
私が離婚したいと言って、相手が食い下がってきたとして、その場合、私は日々相手に対して不満に思うことをいろいろとあげつらうだろう。
彼はプライドが高いから、そんな毎日は耐え難いだろう。
そして、私にとってはそんな相手ではあるのだけれど、世の中にはいろんな男がいる。ダメ男は山ほどいる。
彼は私にとっては男としてダメだったというだけで、他の誰かにとってはダメじゃない可能性は十分ある。
彼を男として認めない私が、彼の妻でいるのは間違いじゃないか。
そう思って、その気持ちを出来る限りのオブラートで包んだ言葉で、彼に伝えた。
結果、あまり大きなゴタゴタを起こすこともなく、別居から半年後に正式離婚になった。
結婚する前に彼が自分で言った言葉を、彼は確かに守った。
それが彼のプライドだ。
あれからもう何年も経ったけれど、今はどこで何をしているか全然知らない。
けれど、多分彼はあのプライドをいい方向で役立てて、どこかで元気にしているだろう。
もしかしたら私よりも早く再婚して、子供もいるかもしれない。
離婚したけれど、そう思える相手だ。
離婚して良かったと思う。多分、きっと、私の為だけではなく、相手にとっても。
(実際、彼の方は別居中に新しい彼女ができた)
お互いに、相手を妻として夫としてきちんと評価してあげられない結婚を続ける価値を、どうやって見つけることができるものなのだろう?
子供のため?それは、子供に対してどこか偽善になってはいないか?
子供のためだったら、仮面夫婦として続けるのではなく、建設的に関係修復を目指す夫婦でなければ意味がないのでは?
情けは人の為ならず、自分の為だと言うことわざがあるけれど、離婚も、自分の為ではなく、相手の為でもあるんじゃないかと思ってできれば、悪いことではないんじゃないかと思うのだけど・・・どうかな?
それはあまりに理想主義なのかな?