ちょっとさらに追記で死刑制度

今朝の新聞に、瀬戸内寂聴さんが死刑制度に関して語る記事があった。
当然ながら、宗教関係の方々は反対されてますね。(まあ、イスラム教とかは反対しないだろうけど)
しかしやはり、なんだろう、記事のまとめ方が悪いのか、私が最も気にしている「では、死刑に相当するような犯罪者を、死刑の代わりにどう遇するか」については、
”永久に罪を償う終身刑にしてほしい”
塀の中で生きているのは辛いことですよ。だから塀の中で反省させ、罪を償わせるしかない。中での生き方によって本心から悔悟する可能性も絶無ではないでしょう”
と言うのみだった。
あとは、「死刑で事件を片付けるのではなく、背景を考えることが大事」という主旨で、すごーくおおまかな話で終わってしまっていた。
ご本人が良い人なのはわかるけれど、やっぱりちょっと現実からずれている感じがした。
極刑になるような犯罪を犯した人物が、反省の気持ちを持つことができるのか?
それは、すごーく、すごーく、難しいと思う。
前も書いたように、そういう気持ちを持つことができるような人物なら、そもそも極刑は出なかっただろうと思うし、強固な意志があって行われた犯罪について、本人が後からそれを反省するということはあり得るのだろうか?
それから、反省をするということは、まず後悔をすることが前提であり、更生したいと思う動機もないと難しいと思う。
本人が後悔の気持ちを持つかどうかについては前述のとおり疑問だし、更生したいと思うには、自分が大事に思う人間関係を回復したいとか、もう一度社会に復帰したいとか、そういう動機がないと難しいと思うのだけど、終身刑(または死刑)になった時点で社会復帰はナシなのだし、人間関係については、こういう犯罪を犯した人物の家庭環境はもともと壊れていてケースが多いし、罪を犯した時点で本人が完全に壊してしまって修復の余地がない可能性も高い。
そういう状況の人物を悔悟することができる状況にするには、塀の中に放置するだけでは難しいという気がする。
中途半端に「刑務所」という社会の一部に置いておくと、これまた社会への恨みを募らせるだけの日々を過ごす可能性もある。
なので、もし終身刑を適用するのであるなら、まず脱出不可能な立地の場所を用意し、社会から隔絶された環境で、一人で、ただ自分と時間だけがある場所に置くことがいいのではないかと思う。
(そういう場所を用意することが難しいという現実的な問題があるとは思うけれど、ちょっと酷な予想を言わせてもらうと、そういう環境に置かれた人間がそう長生きできるとは思えないので、刑の開始時期を調整すれば同じ場所を使い回して執行することも可能なんじゃないかと・・・)
または、多くの宗教関係の皆さんが考えるような前向きな終身刑を実現させたいのなら、受刑者本人はもちろんのこと、被害者や被害者家族、それから受刑者の家族も、関係者全員に対して手厚いカウンセリングや(必要があれば)精神科の治療を行うべきだと思う。
そして、全員が一定の心の安定を得られるまでになったとしたら、そこから初めて、(塀の外には出さないとしても)お互いのやりとりを復活させて、受刑者に反省を深めるための材料を与えてあげる・・・というステップを踏むのがよいのではないかと思う。
思う・・・けど、そこまでやれる人材と財力と時間が、今の社会にあるのかな?
実際、わりと最近の事件でも、16歳の時に父親を殺して、中等少年院を出てから今度は母親を殺した男の子がいたよね。とりあえず今どきの少年院ではこういう少年を更生させるほどのプログラムはないということなんじゃないかと思う。
やっぱり難しいと思うのだけど、寂聴さん、どうなんでしょう・・・?
まあ、とにかく、例えばとりあえず、少なくとも少年に対する極刑を回避したいとか思うのならば、更生のためのそういう強力なシステムを構築することが先決だと思う。
死刑反対を唱えるのであれば、では、今、死刑が言い渡されている人物ひとりひとりを例にとって、こういう人達に死刑以外にどんな刑罰を与えるのがよいかを考え、それによってどんな良い点があるかを提案してみて欲しいと思う。
死刑という刑罰の存在の是非も大事ではあるのだけれど、何よりも、今そこにある事件の重さと犯罪者をどうすればよいのか、それを第一に考えてみて欲しいと思う。