あきらめること

近頃気持ち的にせわしくてブログをじっくり書く余裕がないのだけれど、更新しないのも気がかりなのでとりとめなく思ったことを。
連日ニュースに出ている首都圏連続不審死事件で逮捕された女性について、あそこまでいくともう、血の色が青かったとしても不思議じゃないよなーと別次元な人間だと当初は考えていたのだけれど、ふと、
「”普通に恋愛したり結婚したりして幸せになれる”と思えなかったから、ああいう犯罪をやってのけたのかもしれない」
なんてことを考えた。
まっとうに誰かを愛したり愛されたりして幸せになることを知らなかったか、自分は恋愛や結婚では幸せになれそうにないとあきらめていたら、躊躇なくああいう詐欺を働けるのかな、と。
そして、そういうことに価値を見出していないからこそ、被害者の心に目を向けることなく余裕で否認や黙秘ができるのかな、と。
そんなことに思い至った。
あきらめることって、いつか何度か経験するであろうことだと思うのだけど、それで失くすものが何なのかを、よく考えておかないといけないんだなぁ・・・と思った。
私の場合だと、
「旦那さんに対して男としての再評価はやっぱりできそうにないんだけど、子供の父親としては評価できるから法的には夫婦として続けていく」
とか、
「この不景気の時期に40歳になっちゃうとなると、もう正社員の仕事を探すのは徒労になるばかりだからやめる」
とか、そんな感じかな。
諦めたら何を失くすことになるのか、失くしたら、そのあとその帳尻をどうやって合わせるのかを、よく考えておかないとなぁ。。。