同窓会その結果

前にアップした同窓会の件、怪しいという論拠はいろいろあるけれど、連絡をくれたという本人は実はかなりちゃんとした人物というイメージを持っていて、もし本当にその人からの連絡だったとしたら、お返事くらいはきちんとしたいなぁ・・・と思って、試しに某同窓会用のネットサービスをやっているところを探してみた。
すると、早速それらしきユーザーを見つけることができたので、ネットを介して
「あの〜、もしかして、××さんですか?」
との問い合わせと、実際に××さんだったことを前提に同窓会は残念ですが欠席させてください、とメールを入れたら、本当に本人が返信をくれた。
どうも、そもそも中学卒業以降も定期的に連絡を取り合っている仲の良いグループがあって、そこから学年全体での同窓会をやろうと幹事を買って出た人がいたということだった。
何か理由があってか変則的な誘い方をしているようで、それでも実際にお世話になった先生にもお誘いの声をかけて、程ほどの人数が集まりそうな様子らしい。
そうかぁ、ちょっと懐かしいなぁ。
・・・と思ったけれど、欠席の意思は変わらなかった。
今回幹事をやっている人やグループについては悪いイメージはないし、少人数で出席者の名前がオープンだったらもうちょっと前向きに検討しても良かったのだけど、みんながきちんと私のことを思い出せたとしたら、多分私が出席することに躊躇いを憶える筈だと思ったからだ。
私は、小学校2〜3年の頃から中3まで、イジメにあっていたから。
うちの実家に連絡をくれた本人は、実は中学の途中で転入してきたコなので、そのへんの重さをあまり知らなかったんだと思う。
私の立ち位置から同窓会に出席したいか?と考えると、出席してみんなに会ってみたいのが半分で会いたくないも半分という気持ちだ。迷うくらいなら通常は「参加」で決めるのが私の方向性なのだけど、今回はちょっと違う。
イジメの加害者側であった人間に対して、今でも恨んでいるとか仕返ししたいとかいう面倒臭い感情は全くない。
どちらかと言えば、そういう経験のおかげで私は自分を客観視することや他人に惑わされずに自分の存在価値を見極めることの大切さを学び、集団心理や仲間意識の中に自分の意思を埋没させることの危うさや人間の弱さを理解できたと思っているから、お礼を言うことはないとしても貴重な小中学校時代を過ごすことができたと思っている。
で、その分、イジメの加害者だった多くの人物をすごくつまらない、とるに足らない人間ばかりだったと記憶している。
なので、全員に会いたくないとまでは言わないけれど、同窓会ということで大人数が集まると、ちっとも興味を持てない人間もまた集まってくるんじゃないかと思えて、出席する気持ちになれないのだ。
もちろん、卒業してかれこれ20ウン年が経過しているから、みんなそれなりに変わっただろうとは思うけれど、それをわざわざ確認したいとも思わないし、多くのイジメの加害者は自分が加害者であるという意識を大して持っていないから、私に関する思い出は勝手にデフォルメされているか削除されているだろう。
実際にそういう相手と話をしてそれを確認したら、きっと私は彼ら彼女らを中学校に在籍していた当時よりもいっそう蔑んでしまうと思う。
また、もしも万一、誰かが私を見て当時のことをちゃんとリアルに思い出したとしたら、その誰かはきっと気まずい気持ちになろうだろう。
それはそれで、古い記憶で苦い思いをさせてしまうのは申し訳ないと思う。
だから、私の存在が「この学校にはイジメがあった」という黒い歴史の証明である限り、あんまり同窓会には出ない方がいいのだと思う。
私も、その方が面倒くさくなくていい。
会いたい人がいれば、同窓会ではなくて別の機会で会えばいいのだから。
もし、私が同窓会に出ることがあるとしたら、私自身も昔の記憶がいよいよあやふやになっていそうな、60歳を越えた頃がいいかなぁ。
ただ、そこまで出席しないと、多分担任の先生とは生きているうちにはお会いできないかもしれない。ちょっと申し訳ないけど。
同窓会って、きっとみんなそれぞれいろんな思い出を携えて集まるのだろうけれど、毒を食べてもケロッとしていられそうな年齢になるまでは、楽しい気持ちだけで集まれる人のみでやる方が無難なんじゃないかな、って思う。
・・・ちなみに、中学校時代の同級生の中で、最も会いたいと私が思っている人物は、私とは違うタイプのイジメに遭っていた別のクラスの男の子だ。
彼はちょっと変わっていて口下手で、みんなによくからかわれてはいたけれど、成績はとっても良かったし、自分の個性をしっかり持っていた。
彼がもし同窓会に出席するとしたら、私も出席して15分後には二人で会場から抜け出して昼間っからビールでも飲んで中学校時代の毒をお互いに吐き出し合いたいと思う。
彼はきっと社会人になって活躍しているんじゃないかと思うし、していて欲しいな、と願っている。