今日もまた検診へ!

先週火曜に要注意を受けた子宮の状態をまた確認すべく、今日も病院へ検診に行った。
前回に比べればかなり安静にしたつもりではあるけれど、実は家事は一切やりませんでした・・・という状態ではなかったし、一歩も家を出ませんでした・・・という状態でもなかった。
ちーちゃんの離乳食のためのちょこちょことした作業や、ここ数日の悪天候で溜まってしまって気になって仕方のなかった洗濯物や、ちーちゃんをお風呂に入れる作業やオムツ替え作業は多少やってたし、外出についてもほんの5分だけ車を運転してドライブスルーでマックのセットを買うとか、どうしてもアイスクリームを食べたくなってコンビニへ行ったことくらいはあった。
もちろんそれらは体調の良い時に限ってやったし、お腹が張ったり痛かったりした時はきちんと横になったつもりではある。
ただ、実はこの1週間の間に胎動を感じることが多くなり、その都度
「痛いなー、元気なコだなー」
なんて思うことがよくあったのが気になるトコロだった。
今朝もまた実家の両親が朝からやってきて、母はちーちゃんと一緒に留守番、私は父に車で病院まで送ってもらい、いざ検診に臨んだ。
前回よりは待ち時間が短く診察台に上がることができたけれど、結果はまたも思わしくなかった。
「子宮頚管は前回よりも良くなっています。とはいえまだ2.5cmってところですね。
でも、子宮口が1cm開いています。」
ガーーーン!
続けてお医者さんに聞かれた。
「お腹が張って硬くなったことが多くなかったですか?」
「胎動が結構あってお腹が痛いことはわりとあったんですけれど、硬いという印象はあまりなかったです。」
「でも、胎動のせいでお腹が張って、そのせいで痛いというコトだから、やっぱり張ってたんだというコトなんですよ、それは。」
「ああ、なるほど」
2人目妊娠だというのにアホな私だった。
前回警告を受けていた上で挑んだ今日の診察だったので、こうなるともう観念して入院するしかないよなあ・・・と腹を決めていたのだけれど、ここで先生が困ったように話を続けた。
「早速入院して欲しいんですけれど・・・実は今、ベッドが空いていないんですよね。
一応別の病棟で個室は空いているけれど、あんなトコロ誰が使うんだ?というような場所で・・・」
看護婦さんと話し始めた。
「3階ですよね」
「そうなんだよねー」
「別館の××病棟は?」
「ダメダメ、もっと空いてない」
3階というのは私の知る限りでは外来患者のためのフロアで、入院設備らしきものと言ったら日帰り手術の人のための部屋でもあったかな?というくらいのモノだった気がする。
それに、もしソレでないとしたら、多分超豪華個室とかしか想像できない。
そして別館というのは、確か難病重病の内科系と精神神経科のための病棟だったような記憶が。。。
イヤだなあ、入りたくないなあ、と観念していた筈の私の心の隅っこが騒ぎ始めてしまった。
「あの・・・、とりあえず今週はもう実家の両親も旅行から帰ってきたので、自宅での安静度をもっと上げた状態でおとなしくしておくこともできるんですけれど、ダメでしょうか?」
うーーーーーーん、と考え込んで、(不本意だけど、そうしてもらうしかないかなあ)という心の声が聞こえそうな面持ちで先生が続けた。
「そうですね〜、それでもうちょっと頑張ってもらって、来週また来てください。その時は一応入院する用意をしておいてください。だから、次回の予約は12時にしますね。」
つまり”入院手続きがし易い時間帯に来い”という意味だ。はっはっはーっ。
さすがにこの時期に子宮口が開いてしまっているというのはマズイよなあ。まだ30週なのに生まれてしまうのは確かに危険だ。自宅でこんなに早い時期にいきなり破水とかしたくないし。
前回入院を宣告された時よりも、今回はとても素直に入院してもいいという気持ちになれた。
ただ、やはり金銭的なことを思えば入院しないで済むならそれにこしたことはないし、今日入院しなかったことは喜んでいいのか心配すべきなのか、微妙なトコロだ。
それにしても、今日の内診で結構痛かったのだけど、その後も時々お腹が痛い状態が未だに続いている。
30週だから胎動が頻繁なのは仕方がないけれど、去年のちーちゃんの3倍以上元気だよこのコは。
えーと、もし切迫早産で入院した場合は、確か35週か36週まで出産しないで過ごせるように頑張るんだよね。
だから、11月の下旬くらいまでお世話になる可能性があるってことだね。
いいじゃないか。来週の結果がダメだったら1ヶ月入院で頑張ろう!
うん、1ヶ月ならちーちゃんも両親も旦那さんも頑張れるかな・・・?
ということで、今日の結果が良ければ自宅で寝泊りする生活に戻る筈だったちーちゃんは再び実家に預けたままになってしまった。
寂しい。でもちーちゃんは今いっぱい動いて遊んで刺激を受けたい時期である様子なので、これを満たしてあげられない私としては、うちの両親がそんな元気いっぱいなちーちゃんと遊ぶのを心から楽しんでくれていることがせめてもの救われる思いだ。