妊婦もイロイロなのね・・・

近頃思ったことがある。
妊娠・出産に関していろんな話を知るにつれ、
「自分って実は意外と夢見るオトメ妊婦だったのね」
というコトだ。
自分で言うのもなんだけど、私はどちらかと言えばリアリストだと思っている。
恋愛沙汰で生きるの死ぬのストーカーだのなんてアホっぽいと思ったり、結婚はリスクが大きければしない方が絶対いいと思ったり、男なんて×××(←いろいろ自粛)さっ!なんて決めつけに近い批判論を心に持っていたりもする。
恋愛・結婚・男性については自分の経験からかなり冷めた見方をしているつもりなのだけど、しかし唯一、妊娠して出産して自分が母親となり、誰かを育てることになるという事柄についてだけは、それはいつか幸せに繋がることだと信じて疑っていない。
それがたとえ、
1.私が死ぬほどビンボーな時だったとしても
2.相手の男がろくでもないヤツだったとしても
3.生まれた子供に先天異常があったとしても
4.何某かの理由で周囲に出産を反対されたとしても
5.その他、なんでもいいや。
とにかく何かマイナス要素を含む事柄があろうとも、それを凌ぐ素晴らしいコト、大切なコト、幸せなコトが、新しい命にはきっとあると思っている。
強いて躊躇する仮定を挙げるとしたら、上記条件にプラス、これがハイリスク出産で、無理に産んだら私は死んでしまい、
「生まれた子供はその瞬間から天涯孤独になっちゃうよ?」
・・・なんてコトがあるようだったら、ちょっと考えるかも知れないけれど。
そのくらい、子供を持つことに対してプラス思考だった私だけど、他の妊婦さんは案外そういう人ばかりでもないのだということを、近頃ちょっと知る機会があった。
ある妊婦さんは、長年の不妊治療と姑からのプレッシャーに嫌気がさして
「子供なんていらない」
と思っていたのに、結婚10年にして偶然妊娠。素直に喜べなかったとのことだった。
「絶対妊娠なんてしないと思っていたから、妊娠に気がついた時は既に5ヶ月を過ぎていた。
中絶も選べないし、自分に今さら母性が芽生えるかも疑問。」
と言っていた。
その上彼女の妊娠にはトラブルが続き、最後は30週ちょっとで帝王切開で出産し、子供はNICUに入ってしまった。
でも、幸いにも彼女の赤ちゃんは小さいながらも生まれた瞬間に自力で泣いて、自発呼吸ができたのだそうな。
「生まれた実物を見てみたら、想像していたのより可愛かった。」
と言った彼女を見て、私の方もホッとした。
またある妊婦さんは、理由はよくわからないのだけど、自分の妊婦生活にとても不満を感じていたようだった。
切迫早産と、もしかすると胎児の発育状態が芳しくないらしい?ことを理由に大学病院に入院したものの、見た目は元気そうだった。
でも、彼女は頻繁に看護婦さんを呼んでは、
「お腹の張りが激しい」
「点滴がすぐ漏れて痛い」
「胎動がおかしい」
と、何某か異常を訴えていた。
そして、同じ病室の誰かがトラブルで先生や看護婦さんの注目を引くと、彼女はそれ以上に自分に注目を引きたがった。
彼女は34週で産気づいて陣痛室に運ばれ、何がどうしてそうなってしまったのかは不明だけど、分娩室に行くために移動しようとして身体を起こした瞬間に、陣痛室のベッドで子供を産んでしまった。
それでも、ちょっと小さめながらも子供は至って健康とのことだった。
しかし、出産が終わって病室に戻ってきてから半日の間、無言で何も語らなかった。
そしてやっと半日たった時、ポツリと
「産んじゃいました・・・」
と同室の私達に一言言った。
産んだ状況は大変だったみたいだけど、母子共に健康で良かったじゃないか。
と、私達は言葉を返したのだけど、彼女は予定日よりも早く生まれてしまったことに不満があるようで、言葉も表情も”ああ、つまんない”と言いたげな様子だった。
何?何で?どうしてなの?
私には未だに彼女の気持ちが解せない。
”母性”が女性にとって絶対的に存在するものとは限らない、というコトについては、昨今の肉親間で起きたさまざまな殺生沙汰のニュースを聞くにつけても否定はしないのだけど、その背景がわからないままその現実だけを目の当たりにすると、やっぱり戸惑いを隠せない。
人間である限り、人間性や女性における母性は、何某かの理由でどこか心の奥に隠されてしまったり表に出られないところに迷いこんでしまうことはあっても、きっと誰にもきちんと存在しているんじゃないかと信じたいのだけど、どうなのかなあ・・・?