人のせいにするな

このところ忙しい日々がまだ続いているのだけれど、なんか、ちょっと書きたい気分になったのでなんとか復活。
秋葉原の通り魔事件の犯人のニュース。
こういう事件だと、いろいろ興味本位でくだらない記事や偏った記事も取り上げられるだろうと思ってなるべく気にしないようにしていたのだけど、それでも耳に入る内容がいちいち腹立たしくてしかたがなかった。
今朝のニュースのタイトルは、
「誰かに止めてほしかった」
だって。
おまえ、いいかげんにしろよな!
自尊心ばかり高くて、自分の周囲の環境や自分の近くにいてくれた人達までも呪って、自分自身は真面目人間のフリをしてきただけで、本当の自分と正面から向き合おうとしてこなかった挙句、やらかした自分の犯罪についてまで、誰かが自分を止めてくれなかったせいだって言いたいのか?
誰のせいとか、何でとか、世の中がどうとか、関係ない。
自分を今の自分の姿にしたのは自分自身であり、本来、自分自身の最大の理解者も自分自身であり、自分の人生を変えたいと本気で思うならそれをするのは自分自身だ。
自分の生い立ちに関わった人や環境や、自分に関心を示さなかった世の中を呪うだけで、自ら考えて行動して変わってゆこうと思う気持ちがないのなら、そんな人生やめちまえ!そんなヤツはどうせ贖罪の気持ちも方法もわからないだろうし、おまえなんて死刑で十分だ!
少なくとも私は知っている。
自分の足は、自分が命令して行きたい方向へ向かってゆくし、自分の手は、自分が命令して掴みたいものを掴むし、自分の口は、自分が命令して言いたいことを言う。
自分の人生を他人や世の中のせいにしようなんて思わない。
それは、私が自分の意思で生きて、ここにいると自覚しているからだ。
美しいものやキレイなものを「いいな」と思ったことならいくらでもある。
けれど、自分がブスでデブであることで「世の中から差別されている」なんて考えたことはない。
世の中はみんなそれぞれ少しずつ違っているのだ。その個人の特徴である部分でいちいちコンプレックスに囚われていたらきりがないから、誰かが私をブスだとかデブだとか思っていたって知ったこっちゃない。
友人や仕事仲間だって、私と一緒にいる時にそんなことをいちいち意識したりはしないだろうし、自分自身もしない。
ヤツは、「自分の不幸は生まれ育った環境と自分の容姿の悪さのせいであって、自分自身のせいではない」から、「世の中が自分に関心を払わず正当に扱わないのは差別だ」というメッセージをいろんな形で表現している。
ヤツに関わるニュースからそういうメッセージを感じるたびに、私はイラッとする。
そして、こんなヤツに人生を踏みにじられた人達がいるのかと思うとやりきれない気持ちになる。
他人のせいになんかするな。
変わるのは自分自身だ。
他人のせいだからと言って他人の命を奪ったところで、おまえの人生は改善されたのか?
されるわけがない。
それが、おまえの考えが間違っているという証明だ。
これからの日々は長い取調べと裁判と拘置になるだろう。
おまえが望んだとおり、みんながおまえについて考え、おまえに話しかけるだろう。
そこで、本当の自分がどれだけ卑屈で卑怯であったかを、思い知ればいい。