ネタもらってしまいましたニュース雑感

ナッパさんが書いたのを読んで、書きたくなってしまいました。
多分、大もとのネタはココなのかな?
知的障害のある人を取り巻く環境についての記事
福祉活動に携わる人が日々感じていることを、インタビューされて答えてそれがネットに出た。
内容自体は、私からすると「ふ〜ん、そうなんだ」くらいの第一印象のものだったのだけど、この記事が、
○ちゃんで叩かれまくりです。
この記事にある”シートベルトをきちんと着用しなかったために飛行機を降ろされた”のくだりを読んだ人達の一部が、
「障害者だからって、特別扱いされるべきだと思っている考えは驕りだ」
と言いたてているらしい。
○ちゃんのスレッドは実際ちょっとロムったのだけど、これがまー、とっても粘着ヒステリック。
この叩きようを読んだら確かに、知的障害を持つ人にとって世の中がどんなに生きにくいか、察するに余りある感じだよなぁと思った。
まず、記事の内容についての私自身の意見としては、確かにこのインタビューを受けた女性(障害を持っている人の母親にあたる)の認識は甘いと思う。ただ、甘いと思った点はただひとつ、
「私が上から抑えていたので問題はないと思うのですが」
という認識についてだけだ。
他者が上から抑えるだけで安全を維持できるものなら、シートベルトがこんなに普及するわきゃないし、航空会社は安全を確保する義務を負っているのだから、搭乗拒否という結果になっても仕方がないと思う。
これをOKするくらいユルい航空業界だったら、ふざけて「爆弾だ!」と叫んだオッサンが警察に捕まるなんて話もナシになるだろう。
なので、飛行機における安全確保について「上から抑えれば問題ない」程度の感覚で考えたことについては、女性は反省しておいた方がよいとは思う。
ただ、その問題とは別に、搭乗を拒否する前になんとかうまくシートベルトをつけさせるための努力を女性と乗務員が協力して行うためのやりとりや雰囲気があったのか、また、たとえば物理的に身体的な理由からシートベルトを着用できない人のための次善の策を用意するような努力を航空業界や(着用義務を制度化した)国は何かしているのか、という、そういう点については確かに、この女性が社会に対して不満に感じているとおりなんじゃないかとは思う。
○ちゃんでこの女性の物言いを叩いている輩の乱暴な言葉を読み続けていくにつけ、彼ら(彼女ら?)の方にこそ、「健常者の驕り」を感じる。
五体満足のどこがそんなに偉いんだろう?
「五体満足がグローバルスタンダードだ」とでも言いたげに、なぜそれを当然の前提として、シートベルトを不快に感じた知的障害の人のエピソードを一面的に叩くのだろう?
おまいら、自分がいつまでもいつだって五体満足だなんて思うなよ。
人間生きていれば、遺伝子情報が壊れて生物学的に五体不満足に生まれることもあれば、後天的な事情で五体不満足になることもある。見た目が満足そうでも実は精神的に壊れていることもあるし、そっちに関しては実は後天的にそうなることの方が多いんじゃないかというくらいだ。
そういうことに思い至らずに、自分は未来永劫健常者のつもりでいて、障害者の事情を当たり前のように他人事と考えて「健常者の行動に倣えないからNG」と言い切っているヤツって、実はその時点で既にちょっとアタマが壊れていそうな気さえする。
「自分が五体満足でなくなったら」という、決して有り得なくない事柄に対する想像力が欠如しているということは、他者と気持ちを共感する能力にも欠けている可能性があるわけであり、それってちょっとした人格障害のはしっこにいるということなんじゃないの?
それについでに言えば、先天異常って単に少数派だから苦労するってだけであって、生物としてその姿と能力で生まれてくる力をちゃんと持っていたのであれば、自然のなりゆきで生まれた状態を「異常」と表現すること自体、本来間違ってるんじゃないのか?
「障害」というのは、一般的に言われる「健常者」(多数派)の持つ心身の能力と「障害者」の持つ能力の違いを「障害」と呼んでいたりはしていないか?
そうだとしたら、それは大きな勘違いだと思う。
沢山の人間が効率よく社会生活を営んでゆこうとすると、どうしてもそれは多数派にとっての便宜を優先することになるのは自然だし当然だとは思う。
ただ、その後、多数派のための便宜を図ったことで不利益を受ける人達を取り残すことは、取り残した部分が大きければその分だけ、それは健常者と言われる人達が自分の生きる能力について驕っているということだと思う。
私自身は決して自分が五体満足であることを満足で安心なことだとは思っていない。
暑いのにも寒いのにも弱いし、爪が割れただけでも痛がるし、足も遅いし、力も強くないし、心もそんなに強いわけではないし、頭脳明晰というわけでもない。
それでもなんとかひとりの人間として生きてゆけるのは、社会の中で他の人間と共存する方法を自分なりに模索してきたからなのだと思う。
人間は五体満足であっても生物としては全然弱いから、この先自然や社会がどんどん壊れていけば、ヘタすれば「健常者」が少数派になるような時代が来ないとも限らない。
そんなことにならないように、または、なってしまってもなんとか取り返しがつくように、社会全体がさまざまな人間や環境をフォローできるような懐の深さを持って欲しいものだと思うし、そのヒントを見つけてくれるのが、人間の弱点と、ひょっとしたら逆にそこから引き出される強みを教えてくれているのかもしれない、障害を持つ人の存在なんじゃないかと思う。
そう考えると、この女性が一番に訴えている「障害者の社会との交流」について、私も心から賛同するし応援したいと思う。
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・・・・・・ん〜と。。。(ーー;)
なんか、雑感の筈がやけに大きな風呂敷を広げてしまったような。。。
恥ずかしいのでこの文章は後で消すかも知れないです。(-o-;