秋葉原殺傷>被告の父「見守るしかない」 死刑判決受け
毎日新聞 3月25日(金)2時33分配信


 「何であんなことしたのか本人にも分かってないのでは……」。東京・秋葉原で7人が死亡、10人が負傷した無差別殺傷事件で、死刑判決を受けた加藤被告の父親(52)は青森市内で7日「私らとしては見守るしかない」と心境を語った。被害者に対しては「ただただ申し訳ない」と沈痛な表情で謝罪した。

 加藤被告は法廷で、事件の背景として「小さい頃の母の育て方が影響した」と語り、24日の判決も「母親の虐待とも言える養育によって人格にゆがみが生じた」と指摘した。

 だが父親は被告の発言について「後付けの理由のように思う。よそさまと比べて教育がそれほど違っていたとは思いません」と述べた。自身は仕事で忙しく、被告の教育にほとんど関与しなかったといい「子供のことは妻がやると決めていて、口を出すのは良くないと思った。ただ、どこの家庭にもあることでは」と話した。

 判決後の対応は「本人が決めること。私らがどうこう言う筋合いではありませんので」と言葉少なだった。被告は弁護人以外との面会に応じておらず、両親も事件後、本人に会っていないという。

自分も2人の子供の親なので、こういうニュースは注目しがちなのだけど、なんか、光市の母子殺害犯の父親と同じにおいを感じた。
自分の子供なのに、責任を母親に押し付けただけのような、なんでこんなに関心の薄いコメントを喋れるんだろう・・・?
教育方針はもちろん各家庭で様々で、虐待に近い行為が行われる状況もあるのかもしれないけれど、それは”どこの家庭にもあること”ではない。
また、”どこの家庭にもあることだったら悪いことじゃない”わけでもない。
そして、思うにこの家庭のもっともまずかった部分は、口を出したか出さなかったかということではなくて、この父親が自分の子供にあまり関心を払っていなかったこと、母親がやったとされる虐待の語られ様からして、被告は母親の愛情を感じることがなかったことなんじゃないかと思う。
自分の親から十分に関心や愛情を注いでもらえなかった人物が、果たして他人の気持ちを理解できる、理解しようと努力することのできる人物に育つことができるかというと、それはなかなか難しいと思う。
被告の親は、その問題部分を今になっても直視できていない。
そこが痛い。
そして、自分は今、どうなんだろう?と、こういう記事を読むごとに、自分がちーちゃんやゆーちゃんにどんな影響を与えているのかが気になってしまう。
大切なものをちゃんと伝えられているか、教えられているか、何か間違ったことを刷り込んでしまっていないか。
ひたすらただ、私にとってはちーちゃんやゆーちゃんがどんな宝石よりも偉人よりも価値のある存在なんだ、ということを忘れないように、自分の心を振り返りながら家族として接してゆくようにしているつもりだけれど・・・。
とりあえず、私が毎日見かける二人の笑顔は大丈夫、だとは思うけど、その笑顔をこれからもちゃんと守れるように、気をつけたいと思う。