その期待、無理だと思う

「『生活保護の前にまずは家族による扶養』という常識が浸透することを期待します」
↑このコメントを某議員がしたらしいけど、私は、
「ああ、こういう人が議員だから、国のお金の使い方は歪むんだな」
と思った。
逆じゃないのかな。
いろんな理由で家族による扶養ができない世の中になったから、生活保護の受給者が増えたってことじゃないの?
「家族による扶養」が常識として成立しなくなりつつある、という現実を見ずに、生活保護の制度ができた時の古い考え方をもとに発言・対応するのって、司法の側の人間のやることならまだしも、立法の側の議員がそれって、ダメなんじゃないの?と思った。
家族・親族が助け合うのが常識なら、孤独死とか児童虐待とかが社会問題化する筈がない。
助け合うにしたって、非正規雇用の割合がこんな状態じゃ、明らかにバランスは「助けてほしい人>助けることができる人」で限界があるし、正規雇用の人ですら「明日は我が身」と思って働いている今、どこまで互助関係を強制できる?
病気の根幹を放置して、噴き出してきた目立つ膿をこれ見よがしに処置してエラそうにしているだけの議員なんて鼻につくだけで腹立たしい。
それよりも、自分は次長課長の河本が気の毒に思った。
彼のお母さんが生活保護を受け始めた時は実際にそれが必要な状態だったワケで、それを止める時期を逃してしまっただけじゃないか、と思った。
誰だって、もらえるものはもらっておきたいって、普通に思うじゃん。
褒められた話じゃないけど、人間だから、それが許されちゃったらズルズル行ってしまうのだと思う。
これがちょっとプライドとか見栄が強い人なら、テレビで仕事ができるようになったあたりで打ち切ったのだろうけれど、河本はそういうキャラじゃなかったってことで、そして、お母さん自身、子どもがお金持ちになったからって、それにタカろうとは思わなかったのだろう。
ただ、それがつまり、言い方は悪いけど、子どもの代わりに税金にタカっている状態だという認識が、長期間保護を受けてきたことで麻痺してしまったのかなぁ、と思った。
そして、何より生活保護を受けているという事柄は明らかに個人情報なのに、こんなに大っぴらにされていることが気の毒でならない。
まさに、不正受給者を増やさないための見せしめにされたという印象が強過ぎて、そこまでする必要はないだろうに、と思った。
笑えない理由で謝罪することになってしまった河本は、この先「お笑い」のジャンルで表舞台に立つことはできなくなってしまったかもしれないけれど、これからもなんとかお母さんとともに頑張ってほしいと思う。
そもそも自分自身、前述で「タカる」なんて表現を使ってしまっているけれど、純粋に生活保護が必要な人たちは、当然の権利として堂々とタカっていいと思う。
核家族化や雇用不安で日本の社会保障制度の隙間に落ち込んでしまった人が、直接的な援助を国に求めることは責められることじゃない。
ただ、そういう手法はあくまで一時的な窮余の策として使うべきであって、保護を受けなくて済むような暮らし方をできるようになるための制度へスライドさせる施策を構築しないといけないと思う。
生活保護を麻薬にしてしまわないように、処方される側も処方する側もしっかりしないと。
河本が正直に謝罪したことが単なる見せしめで終わるのではなくて、制度のあり方そのものに議論が進むような起爆剤になってくれたらいいな、と心から願った。