虚実

ニュースのありかたというか、発信者と受信者の認識のずれ、というものを考えることが最近多い。
Yahoo!ニュースに出るほどのものではないのだけど、ある訴訟のニュースを読んだ。
実は自分はその訴訟の原告を含む関係者を知っていて、裁判は原告が勝訴したのだけど、記事の内容は原告の意図とは違うものになっていた。
原告は、ある差別を受けたことについて訴訟を起こしていて、そのことで、同じような差別を受けている人を支援する人がニュースをを書いたと思われる。
でも、原告の訴えは、
「私はその人達とは違うから、不当な差別だ」
ということだった筈なんだけど・・・・・・。
で、記事をよく読んでみると、筆者はそのあたりを承知で記事を書いていて、さも原告の勝訴が差別を受けている人の権利を認めたものだという印象を持たせようとしていたフシがある。
人が書いたニュースは、必ずしも事実だけを伝えているとは限らないんだという実例に接して、伝聞を鵜呑みにせず、事実を吟味する力が大事だと思った。

真夜中は体に悪い

めずらしく、ダラダラと夜更かし中。
こういう静かな時間には無駄に考え事をしてしまう。
たいていテーマが「考えてみても堂々巡り」とか「しょーもない妄想」とかの部類になるのだけど、実際ブログでそう打ち込んだらようやく潮時だと思えてきた。
うだうだ一人で考えること自体はキライじゃないのだけど、夜更かしするとたいてい次の日の調子が悪いので、やっぱりイカンよね。
さて、お肌のお手入れをして寝ますかね。
お肌のお手入れといえば、化粧品って結構イタイ出費だよね。
私のお肌が多少良くなったとしても、誰も得するわけじゃないのに(笑)
まーでも、子供たちには母がくたびれた顔になるよりはマシってくらいのメリットはあるか。
ということで、ここ1年くらいは基礎化粧品はそれなりに真面目にやっているけれど、メイクはナチュラルメイクというよりもすっぴんにちょっとおまじないをしてみた程度のレベルになっている。
ハイハイ、もう寝ようね自分w

そしてネットのダークサイド

件の学校の女子生徒がツイッターで市長を差別用語で恫喝したという話がインターネットでにぎわっている。
その内容が事実なのかまでは追っていないけれど、既に本人と目される生徒の名前が出回っていて、その名前と学校名と「国体」という単語3つで検索すると1万件以上ヒットして、うち最初の20ページくらいが問題のツイッターの話ばっかりになっていた。
国体での実績を知りたかったのだけど、ネット上では彼女のスポーツでの実績なんて既にどうでも良い話になってしまったらしい。。。

ありがとう、尾木ママ

先日の記事をアップしたあと、そういう意図はないものの、擁護しているOBや在校生を非難していることになりはしないかと少し不安に思っていたけれど、尾木ママのブログにあった意見が私が思っていたことにとても近くて正直ホッとした。
今生きている、あの学校に通う在校生が大変なのはわかる。
けれど、ついこの間まで生きていた学校の友人が死んだのに、なぜあんな記者会見をしてしまったのだろう?と、私自身はすごくイヤな気持ちになった。
でも、マスコミは生徒や学校が気の毒であるような論調で報道していて、
「死んだ子よりも生きている子が大事だから、ということなのかもしれない。
だけど、それは大人の論理であって、せめて同じ学校の生徒のみんなは、死んだ子の気持ちに寄り添っていてほしいのに、なんであんな記者会見を開いたんだろう?」
と、悲しい気持ちになっていた。
その時にYahoo!のニュースで尾木ママの意見を知って、それに賛同するコメントも沢山ついていて、すごく嬉しかった。
あの記者会見での生徒達の意見を聞いて、死んだ子があの学校で絶望的に孤独な気持ちになったことがすごくよくわかった。
あの体罰を許す環境に依存していた生徒達は加害者に近いけれど、結果的には被害者だと思う。
でも本人達はそう思っていなくて、そういう考えはそれもひとつの価値観ではあるけれど、その価値観の世界では生きていけなくて死んでしまった子がいた。
子供が死んでしまうような価値観の教育は教育じゃない。
だって、死んでしまったらそもそも育たないのだから。
在校生のみんなは今すごく大変な時だと思うけれど、生きているうちで体も心もいっぱい育つことができる年齢の時にこの課題をつきつけられたことは悪いことではないと思う。
既定路線のサクセスストーリーをなぞる勉強じゃなく、自分の立っている今の場所を知り、自分が行きたい場所を自分で探る勉強の方がずっと価値がある。
そうして何かを得ることができれば、死んでしまった子に対しても、事実上職場を追われることになる恩師である先生達にも、そしてもちろん自分達にも、
「どうしたら良かったのか?」
の答えを与えられると思う。
被害者のままで終わらないでほしい、と願う。

賛成

単なる個人的な意見の吐き出しです。
大阪で自殺者が出た高校の体育科入試の中止に賛成。
この時期に中止にするのは問題があるという意見はわかるけど、それでも確かにこの学校の体育科はいったん廃止すべきだと思う。
受験希望者の苦情のインタビューとか在校生やOBの擁護の声の記事とかを見ると、確かに、そこにはスポーツの実績に固執して人の生死に対して持つべき大事な感覚が麻痺している集団が形成されていると強く思った。
自殺した生徒はキャプテンを務めていて、決して落ちこぼれていたわけでも無視されていたわけでもない。
でも死んでしまった。
それはつまり、彼が死んだことは決して特殊な事情ではなく、明日また別の生徒が死ぬかもしれない、という可能性が残っているということだ。
放射能で汚染された廃棄物の受け入れよりもそっちの方がはるかに身近で大きなリスクの筈なのに、擁護をする人はなぜそういう危険を他人事だと安易に思い込むことができてしまうのだろう?
スポーツで高校生活を充実させたいと思うなら、方法はいろいろある。
特定の学校に固執する必要はないと思う。
確かに受験生にとって志望校が突然1つ減るのは心臓に悪いとは思うけれど、人生万事塞翁が馬を実地で理解することになるかもしれない、と考えてもらえたらと願う。

また来たか・・・

直接雇用の契約社員になったおかげで、多分、次の更新有無の話が派遣の時よりも早めでそろそろありそうな予感。
仕事を選べるものなら、データ分析がやれるマーケ系の仕事で正社員になれたらいいんだけどなぁ。
しかし、そのテの仕事はレポート書きが必要なせいか?英語力を要求する企業が多いのがハードルになっている・・・。(-_-;
そうそう、職種は違うけれど、近頃親しくなったママ友(と言う表現にちょっと抵抗があるけど)は、仕事のために日曜に英語の家庭教師さんをお願いしている。
本人のスキルは既に相当高い筈なのだけど、専門的なお仕事をやっているからということで、更にネイティブの人にいろいろ教えてもらっているとのこと。
そういうの、相応の給与額がないとやれないこととはいえ、仕事と勉強の両方をやっているのって尊敬するなぁ。
自分もそういうことがやれる時が来るといいけどな。
なんか、また微妙に禅問答しそうな気分になってる自分・・・。

雪が降った

昨日の話だけど、凄かった。
放置したら30cmくらい積もったかな?
あまりに凄かったので日曜の午後は真剣に雪かきしたら腱鞘炎になった(笑)
でもちょっと楽しかった。
しかしその夜は体の芯から寒さが抜けなくて、早々に寝た。
そして今日になっても疲れが残っている・・・。
トシだよなぁ〜。(-o-;
雪国に住んでいるお年寄りって、スゴイと思う。